江東区青少年委員会は、学校・家庭・地域諸団体との架け橋となり、青少年の健全育成に努め、地域のコーディネーターとして活動しています。

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主な出来事・催し
1953年
(昭和28年)
初年度委員6名による活動を展開、区教委へ活動計画案を提示。
 1.青少年団体設立のモデル地区設定
 2.青少年団体の育成と優良団体の表彰
 3.青少年団体の指導者育成のための講習会の開催
 4.青少年の余暇善用施設の調査と団体の実態調査
 5.公共施設の開放対策と青少年指導員の設置への要望
1954年
(昭和29年)
江東区青少年委員設置に関する教育委員会規則の制定。地区に卒先して「併任」体制をとる。同4月「青少協」発足。
緑蔭子ども会を12日間23会場で実施。
都青少年委員連絡協議会が発足。三輪、赤根委員が参加。
1955年
(昭和30年)
二砂小子ども会が真鍋委員を中心として発足。
第1回都青少委研究大会が杉並公会堂で開催、四大目標確認。
 1.ヒロポン禍対策
 2.不良出版物及び映画対策
 3.青少年の自覚と家庭教育の振興
 4.都市社会における青少年団体の育成
成人学校開設。全委員が企画運営に参加。
1956年
(昭和31年)
都青少委定数500名に増員、本区も10名に。
「青少協」地区委員会の設置、都連協に小柴委員を選出。
深少連主催「お伽列車」に城東地区の子ども会が初参加。
本年度研究テーマとして、砂町地区子ども会の育成をあげる。
1957年
(昭和32年)
青年学級の開設を要請、江東区青年団体協議会研究集会の開催。
区内10小学校300名を対象に紙芝居の実態調査の実施。
小松崎教育長を迎えて委員研修会も実施。
1958年
(昭和33年)
都読書普及商業協同組合幹部と「貸本」について懇談会の開催。
都青少年委員定数700名に増員、本区においても委員数19名に。
青年学級(成人学級)を開設、校庭利用運営委員会を設置。
深夜喫茶の廃止、深少連内山会長と「子ども会について」懇談会の開催。
1959年
(昭和34年)
本区青少年教育振興のために陳情書を区議会に提出。
三輪、小柴委員が区議に当選。
今期より青少年委員の任期を2年1期とする。全都的に委員が小学校区1名に増員、本区も32名定員となる。
1960年
(昭和35年)
「青少年団体の基本調査」の実施、青年団体数113と判明。
「青少年のあゆみ」創刊。
亀戸地区青年団体連合会の結成、さらに7月江東区青年団体連合会が結成される。
城東地区子ども会連合会へのはたらきかけ。
1961年
(昭和36年)
亀戸青年館の建設着工。
「江東区青少年委員だより」創刊。同時に委員会も3部門制(少年・青年・広報)をとる。
1962年
(昭和37年)
区教委と共催で区内26箇所で夏休み子ども会を開催。
「青年団体育成」を重点目標として活動を展開。
1963年
(昭和38年)
「五月子ども大会」を江少連と共催で猿江公園で第1回開催。
この年度をもって都の青少年委員制度廃止される。
1964年
(昭和39年)
江東区の子ども会を一つに統合、「江東区少年団体連絡協議会」(略称・江少連)が結成される。
区委嘱制度として第一年度がスタート。委員数33名となる。
第2回「五月子ども大会」を深川公園で開催。
夏休み子ども会を各校で実施。
1965年
(昭和40年)
新年子どもの集いとして「新年子ども大会」を公会堂にて第1回を開催。
城東ブロックの新編成を機会に、各区の連携を強化。
「五月・新年・夏休み」子ども大会の実施。
1966年
(昭和41年)
小松崎教育長ヨーロッパ視察談及び社会教育について座談会開催。
城東ブロック当番区となり、深川七中で研究集会を開催。
遊び場対策として小中学校校庭開放の実施、運営委員になる。
1967年
(昭和42年)
勤労青年映画割引身分証明書発行。
「青年の家」が葛飾区水元に建設予定、1970年(昭和45年)開館の運び。
区長、教育長を囲み社会教育団体代表と座談会の開催。
1968年
(昭和43年)
15周年記念大会を公会堂で実施。
2校新設のため委員数37名。
新成人者と各出張所単位に話し合いをもち青年組織化を図る。
地域青年団体の実態調査の実施。
1969年
(昭和44年)
城東ブロック青少委青年部担当委員会議を開催。
青少委と小中学校生活指導主任との懇談会をもつ。さらに体育指導委員との合同懇談会を開催。
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